2019年02月23日

2019年02月22日のつぶやき




















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2019年02月22日

2019年02月21日のつぶやき






























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2019年02月21日

『ワカタケル』(161〜164)

王国の構築 01〜 04

 カラヒメ(韓媛)が子を産んだ。
 男子である。
 すなわち世継ぎである。
 カラヒメは閨ではしゃぐばかりで未熟だが、立派に子を生した。
 他にも采女たちの間に我の子を産んだという者がいるが、世継ぎにとって氏(うじ)と姓(かばね)は大事だ。王家を取り巻く諸侯が認めなければ王位は継げない。
 更には王たる我の胤であるという確信。
 先日、二歳ほどの女子を見かけた。
 かわいいので見ていると、傍らにいた物部のメ(目)が、「母親似と言われておりましたが、だんだん父親に似てきましたな」と言った。
 「母は誰だ?」
 「和珥のフカメ(深目)の娘」
 「父は?」
 「あなた様ではありませんか」
 「あの女とは一夜しか寝ていない」
 「その一夜に、敢えて伺いますが、何度なさりましたか?」
 「七度」
 「七度も営みを重ねれば子も生りもするでしょう」
 この子は王女とし、母は正式に后としよう。

 「クズハ(葛葉)!」と呼んだ。
 狐はすぐに現れた。
「カラヒメが男子を産んだ。タケノウチ(建内)にそう報せよ」
 狐は速やかに去った。
 ミカリ(御狩)やヤマセ(山背)と並んで我の身辺に侍る小者にスガル(栖軽)という者がいた。なかなか気がきいて、我が思うところの先を読んでよく立ち働くのだが、時に読み誤ってあらぬ方へ突っ走る。
 ある時、服部の絹作りを更に進めようとて、スガルを呼び出した。
 「コを集めよ」
 我か蚕のつもりであった。
 しかしスガルは子と思って、幼い子供たちをたくさん連れて戻った。
 「しかたがない。その子たちはお前が育てよ。何かと宮の内外で使ってやろう。これを機に少子部(ちいさこべ)という部を立ててお前に任せよう」
 ある時、大王の威光はいかほどのものかと考えた。

 ある時、我が戯れに宮の正殿でカラヒメを抱こうとしたことがあった。
 そこへスガルが迂闊にもずかずかと入ってきた。
 「あーっ、失礼しました」
 その時、空に稲妻が走った。
 「スガル、雷を捕まえてこい」
 「はあ?」
 「先日から考えていたことだ。大王の威光はいかほどのものであるか。群臣は服して仕える。民草は平伏する。それはわかっている。逆らう者はいない。では雨は、風は如何? 日輪は命ずれば西から昇るか? 王命であると言って雷を連れてこい」
 「畏まりました!」

  「雷、空の鳴る神、大王のお召しである。吾と共に来るべし。大王の命、逆らえるものではないぞ」
 そこで雷は諸越から遠くない飯岡にがらがらぴしゃんと落ちた。
 スガルは近くの社の神司を呼び、竹をもって輿を設えてこれに雷を押し込んだ。
 雷は我の前に引き据えられた。
 おそろしく眩しい。
 従って、見るからに恐ろしい。
 多くの供物を捧げて、もとのところへお帰り頂いた。
 このスガルが若い身にもかかわらず病を得て亡くなったのは後々までも惜しいことであった。
 七日七夜の弔いの後、雷の落ちたところに墓を造って葬り、「雷を捕らえたスガルの墓」と記した柱を建てた。
 雷はしかし捕らえられたことを遺恨に思っていたらしい。
 スガルの墓の柱を目がけてもう一度、がらがらぴしゃんと落ちた。
 先の柱の横にもう一本の柱を立てた。
 「生きて一度、死んでまた一度、二度までも雷を捕らえたスガルの墓」と書かせた。

(※元の文章を大幅に削っています。全文は日経新聞朝刊2月16日〜2月19日発売分をご覧下さい。)


 スガルが雷を捕まえたエピソード、なんだか稲垣足穂の小説みたいだなぁと思ってしまいました。
 稲垣足穂の場合は、捕まえるのは雷ではなく、月とか星ですけれども…。


ヰタマキニカリス〈1〉―稲垣足穂コレクション (河出文庫)
ヰタマキニカリス〈1〉―稲垣足穂コレクション (河出文庫)

ヰタマキニカリス〈2〉―稲垣足穂コレクション (河出文庫)
ヰタマキニカリス〈2〉―稲垣足穂コレクション (河出文庫)
posted by さらさ at 17:30| Comment(0) | ワカタケル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ワカタケル』(159&160)

即位と統治 39&40

 そもそも死後とは何か?
 身体を離れた魂はどこに行くのか?
 死者は常世の国に渡るのだと言う者もいる。
 常世ではなく常夜の国だと唱える者もいる。
 しかし大王である我には神々の特段の贔屓がありはしないか? 高天原に引き揚げられ、神々と共にその後の世の動きをずっと見ている。自分が築いた王国の繁栄を見続ける。時には介入する。
 いや、それでは生前も死後も変わらないことになる。
 死というものはそういうものではないだろう。
 だが、カムヤマトイハレビコ(神倭伊波礼毘古)やヤタケノウチ(建内)は時おり現れて我に助言を与える。
 わからない。
 この若さで、この地位にあって、己の死など考えようがない。それははるか先の話。
 「コトリ(小鳥)、汝、名を改めよ。その大きな身体にその名は似合わない。今より後はオホトリ(大鳥)と名乗れ」

 死のことを考えている。
 父や兄の死ではなく、我の死でもなく、これまで我が手にかかって死んでいった者たち。
 更には我が兵どもの手にかかって死んでいった向こう側の、おびただしい数の兵士たち。
 あの者たちの魂はどこに行くのか?
 この者たちの恨みはどこに向かう?
 なぜか気弱になっている。
 コトリ改めオホトリという埴輪作りの男から殉死の廃止の話を聞いて以来、難を排して強く進む力が失われた。
 今宵の夜伽の相手を大后ワカクサカにしよう。
 あれに抱かれて静かな長いまぐわいをすれば、腰に力が湧き、勇む思いが心に湧く。

(※元の文章を大幅に削っています。全文は日経新聞朝刊2月14日〜2月15日発売分をご覧下さい。)



 殺したくないと思う人間であっても権力を手に入れるために殺してきたワカタケルなのに、そういった犠牲者の存在ではなく、「殉死の廃止の話」で気持ちが弱くなるという心理は、なかなか複雑ですね。
 そういう気持ちをどうにかする手段が「とりあえずH」というのは、いかにもワカタケルですが…。
posted by さらさ at 17:02| Comment(0) | ワカタケル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月20日のつぶやき
















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